境界線を知りたがること自体が…

標準

先般 アップルからiphone向けのアップストアの審査基準のガイドラインが公表されている。

adobeとのflash問題など騒ぎの後での審査基準緩和なので、結構アチコチで記事になったり、ブログで色々な意見が出ている。

個人的にはいろいろ意見はあるが、このガイドラインで心に引っかかった部分がある。

イントロダクションの途中あたりにある部分で、原文は

We will reject Apps for any content or behavior that we believe is over the line. What line, you ask? Well, as a Supreme Court Justice once said, “I’ll know it when I see it”. And we think that you will also know it when you cross it.

である。

maclalala2のshiroさんの翻訳では

一線を越えたとわれわれが信じる内容ないしは行為のアプリは拒否される。一線とは何か? 最高裁判事がかつてこういった。「それは見れば分かる」と。一線を越えたら、アナタ自身も分かるはずだ。

である。

なんとも「ガイドライン」というには口語っぽい文章で、ジョブスの生の言葉っぽく感じる。

「俺がルールだ」とかなり傲慢にもとれるだろうが、ここに真理を感じる。

「最高裁判事が言っている通り」とか言っているからアメリカではそんな名言の場面があったのだろう。

私の身の回りでも、良く「基準を明確にしてほしい」とか「明確なルールが無い」という声を聞く。

そもそも、どこまではOKでどこからはダメなのかという事を知りたがるという事は、その境界線ギリギリまでやろうと思っているからではないか。

本来はそのルールの主旨を理解し、本道のど真ん中を行けば境界線が不明確でもそれほど問題ではないはずで、まさにやっている本人は問題有りという事を知っているはずなのだ。(You will also know it when you cross it)

一見、断固たる意思を持ったカリスマならではの文言にも思えるが、私は、こうであるべきかなと(あるいはこれが通じる様な関係者のベクトル合わせが必要)感じた。

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